MSFC 『多文化共生チーム』第23回インタビュー

こんにちは!
MSFC『多文化共生チーム』です。
2020年3月17日に、第23回目の取材を行いました。

今回は、三重大学の工学研究科を修了し、4月から東京理科大学で助教を務められるオチルさんです。

 

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名前: エ・ルドンオチル

出身国: 中国 内モンゴル自治区

年齢:28歳

勤務先:東京理科大学

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インタビュー(2020年3月17日)
 

Q.今は三重大学の工学部に所属しておられますが、初めて日本に来たのはいつですか。

A.

 初めて日本に来たのは、2013年の4月です。当時私は内モンゴル工業大学で土木を専門とする大学生だったのですが、短期留学生として三重大学に2013年4月から2014年3月まで在籍しました。その時は国際交流センターの日本語のクラスを受講していました。日本に来る前も母国で日本語の授業を受けていたのですが、日本に来たら本当に日本語が分からなくて、初級クラスをたくさん受講しました。今でも覚えているのですが、初めて来日した時、中部国際空港から津市のなぎさまちの高速船乗り場まで来て、そこから三重大学に来たのですが、よくたどり着けたなと思います(笑)。三重大学に着いたら、運良くインドネシア人の留学生が通りかかって、「私たちは新しい留学生です」とカタコトの日本語で話しかけると、そのインドネシア人の学生が国際交流センターに連れて行ってくれました。ラッキーだったと思います。結局、大学院に入ってからも、国際交流センターの日本語のクラスは受け続けました。

 

Q.日本語能力試験(JLPT)を受けたことはありますか。

A.

 はい。初めて受けたのは短期留学中の12月で、N1レベルの試験に挑戦しました。私はこの短期留学中に結構日本語能力が伸びたと思うのですが、それでも初めてN1を受けた時の結果は40点と散々でした(笑)。その後、大学院生になった後もほとんど毎年のようにN1を受験し続けて、70点→97点→130点のように点数がだんだん伸びて、2017年に合格することができました。

 

Q.短期留学が終わった後、大学院に入学する前に、いったん母国に帰ったのですか。

A.

 はい、短期留学を終えた後、2014年の4月に内モンゴル工業大学に戻って4ヶ月後の7月に卒業しました。その後、1週間くらい実家に滞在しましたが、すぐにまた三重大学に来て、工学部の8月の院試に備えて勉強していました。実は三重に来てから、院試の前に大きな交通事故にあったんです。交差点で自転車に乗っていたら車にはねられたのですが、点滅信号の赤信号のところを渡っていたので、私にも責任があるかもしれません。事故の直後から6時間くらい意識がなくて、その間に三重大学の大学病院で手術を受けたそうです。意識が戻った時は、色々な人に迷惑をかけて申し訳ないと思うと同時に、「生きてて良かった」と心の底から思いました。人はみんな、自分の未来を描いて、色々な目標を持って生きていると思うのですが、死んでしまったら全ての未来が失われてしまいます。私はこの事故の経験を通して、命と健康が一番大事だと強く思いました。それから、私たち留学生にとって日本は安全な国だと思いますが、交通事故に気をつけるなどの注意が必要だと思いました。もう一つ言いたいのは、この交通事故の後、たくさんの人にお世話になったということです。特に国際交流センターの松岡先生と太田先生には何度も病院に車で連れて行ってもらったり、保険の手続きを手伝ってもらったりして、感謝してもしきれません。この時から今に至るまで、生活や研究などすべての面において、色々な人にお世話になっていますので、感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思います。この事故の後、無事院試にも合格することができ、10月に工学部の大学院に入学しました。さっきも言いましたが私は内モンゴル工業大学では土木の専門でしたが、三重大学では建築を専門としました。でも、土木と建築の分類が日本と中国では少し違っていますので、私が内モンゴルでやっていた土木の勉強と三重大学でやった建築の研究は同じ種類のものです。最終的に、2019年の9月に博士課程を修了しました。

 

Q.2019年の9月に修了して、2020年の4月からの仕事が決まるまでは何をしていましたか。

A.

 工学部の技術補佐員として、今月(2020年3月)まで半年間働かせてもらっています。実は去年の4月から就職活動をしていたのですが、色々な大学の求人に応募してもなかなか採用に至りませんでした。でも三重大学の外国人研究者の受け入れ募集というものがありましたので、それに5月に応募しました。その時は、仕事が見つからなくても外国人研究者として三重大学に残れるだろうと楽観的に考えていたのですが、それに落選してしまい、どうしようかと思いました。それで大学院の先生に相談したところ、運良く技術補佐員として在籍させていただけることになり、ほっとしました。技術補佐員として働かせてもらっていたこの半年間の間も就職活動を続けて、去年の12月に東京理科大学の3年任期の助教職の面接を受け、先月末に採用通知をいただきました。本当に良かったです。東京理科大学では、私の専門分野である建築関係の仕事をするのですが、今私がやっている建築材料系の仕事ではなく、耐震関係の実験などをすることになっています。

 

Q.日本でアルバイトをした経験はありますか。

A.

 はい、あります。一番初めにしたアルバイトは、津駅の近くのくつろぎ屋という居酒屋で、2013年に交換留学に来た時にやっていました。実は、この頃、内モンゴルの実家の方で妹の留学のためにお金が必要で、私は仕送りをもらっていませんでした。その時妹は内モンゴルにある大学の1年生だったのですが、上海師範大学に2年間留学できることになりました。実家ではそのための資金が必要でしたので、私も数人の友人から合計30万円くらい借金をして実家に送りました。そういうわけで私は自分の生活費を自分で賄わなければならなかったのですが、当時日本語もほとんど話せなかったので、アルバイトを見つけるのは苦労しました。毎日、国道沿いの牛丼の松屋から津駅までの間のお店を順番に一軒一軒回って、アルバイトをさせてくださいとお願いしましたが、やはり日本語が話せないので、雇ってもらえませんでした。同じ店にも何度も行きましたが、最終的に津駅近くの居酒屋で、「週末とかの忙しい日だけ連絡してあげる」と言ってもらえました。その時私が持っていたお金は千円も残っていませんでしたが、初めてアルバイトさせてもらった時は五千円くらいもらえました。そのアルバイト代が日払いだったことも嬉しかったです。そこから三重大学にいる間に結構日本語も伸びましたし、アルバイトもスムーズにできるようになって、生活費の不安がなくなり、借金も返すことができました。

 

Q.涙が出るような話ですが、来月からいよいよ仕事が始まって給料ももらえますね。
  実家のご両親はオチルさんが日本で就職することをどのように思っておられますか。

A.

 父と母で少し反応が違います。父はどちらかというと伝統的な考え方で、男は実家にいて家族を支えてほしいと思っているようですが、母は私が学問に励んでいることを応援してくれています。でも、父も今は理解してくれています。でもやはり伝統的には私は実家に帰るのが普通ですので、私のように実家のことは妹に任せているという人間に対して、地元の"うけ"は良くないかも知れません。

 

Q.将来は、ずっと日本に住み続けたいと思いますか。

A.

 そうですね。日本に住み続けたいと思います。私の性格は、新しいことに興味を持って、取り組んでいるうちに好きになってしまう性格だと思います。例えば今の仕事の研究や実験なども、やっているうちに熱中してしまって、楽しくて、勤務時間が終わっても続けてしまいます。日本での生活も、ここに住み続けているうちに慣れて気に入ってしまいましたので、最低でもあと5年は日本に住み続けると思います。でも、津市の生活環境は気に入っているのですが、東京の家賃は高いですね。今三重大学の寮に月1万4千円で住んでいるのですが、東京で部屋を探して見つけたのは家賃7万円のアパートです。そこに住むか、それとももっと安いシェアハウスにするか考えているところですが、3月末には引っ越さないといけないと思うので、早く決めないといけないですね。

 

Q.日本にお付き合いしている女の人がいますか。

A.

 はい、彼女は今三重大学の医学部の博士課程の学生です。私が東京に行ったら、また遠距離ですね。彼女とは2年くらい付き合っていますが、これまでほとんど遠距離でした。私が日本に住み始めた時は彼女は母国にいましたし、その間に彼女はアメリカに留学したり。最近やっと近くに住んでいますが、またもうすぐ離れてしまいますね。でもお互いの両親とも親しいですし、結婚の話も出ています。

 

Q.最後に、日本で就職したいと思っている留学生の皆さんにアドバイスをいただけますか。

A.

 私は企業への就職のことは良く分かりませんが、研究職なら、、、、そうですね、諦めないことですかね。私もたくさん不採用通知をもらいましたが、諦めないで何度も挑戦するべきだと思います。それから、他の人のアドバイスをよく聞くことも大事だと思います。