MSFC『ヒトチズプロジェクト』②

MSFC『ヒトチズプロジェクト』②
ちっぽけな学生の声に耳を傾けてくれる大人の存在の話

 

 

「三重に奥津っていう地域があって、めっちゃ心惹かれるの!みんなにも伝えたいの!」

 

 

はい。一体あなたは奥津の何に惹かれているの?
どうやって表して、その地図を手にした人にどんな行動を起こしてもらいたいの?
そもそもあなたはなぜこの活動をするの?

 

 

こんにちは、生物資源学部の森林資源学を専攻する岡田です。
第2回目は岡田のちっぽけな想いが声になり、
てぬぐいという形になる過程をご紹介したいと思います。

 

 

 

ぐだぐだのプロジェクト

 

はじめに、「奥津の昔の様子を知りたい!」という私の想いを
「いいやん」と言ってくれたのは、当時MSFC担当教員のおりたくさんでした。
そもそも「林業の現場を見たい」という私を美杉町に連れて行ってくれたのも
このおりたくさんで、その後もめちゃくちゃお世話になった人です。

 

MSFCの中でプロジェクトメンバーを募るため、
はじめは絵地図ではなく「ヒストリーピン」という方法(地図上で今昔を比較する何か)で表すために「奥津の人に昔の話を取材にいこう!」と呼びかけていました。
ヒストリーピン...それが何かいまいちわからないまま(あかん)。

 

 

そして15人ほどのプロジェクトメンバーが集まってくれたのです。
しかし、ミーティングをするも、プロジェクトの目的や手段が曖昧で案の定ぐだぐだに。

 

 

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奥津の住民の皆さんにヒアリングする際も、いつの時代のことなのか、何の情報を得たいのかが漠然としているため困惑させてしまったことと思います。

 

 

第1回「もうプロジェクトやめようかな」期の到来です。

 

 

そんなもやもやの転換点になったのが「東海学生AWARD 2019」でした。
「OFFからONへ」をテーマに、ブラッシュアップ会を通して社会人メンバーや
バディの伴走を受け、若者が夢や志をプレゼンする舞台です。
私もプレゼンターとして参加しました。

 

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結果、大衆の前でカチコチに緊張したプレゼンは不完全燃焼に終わりましたが、
この挑戦で得たプロジェクトの見つめ方は今後の活動に大きく影響します。
多くの意見に揺られ、ゴテゴテに飾った想いがその重さに耐えかねてこそげ落ちていきました。そうしてやっと芯が見えたのです。

 

 

なぜ私は奥津でこの活動をするのか?という問いに対し、
「私は奥津が好きで。共感してもらいたくて。自己満足でやるんだ!」
という結論を出します。いいのかこんな理由で。と思われるかもしれませんが
これでいいのです。一人で再出発をはじめました。

 

 

どうやって表し、その地図を手にした人がどんな行動を起こしてもらいたいの?
という問いに対しては、
「奥津を訪れた人に地図を手に持って実際に歩いてもらいたい」
という結論を出します。この想いから、以前から世話になっている津市在住の絵地図作家さんにご協力を依頼しました。

 

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しかし、ここで第2回「もうプロジェクトやめようかな」期が到来します。
出口が見えない漠然とした不安。

 

 

やっぱり途中でやめたくない。
下絵を描き、それを持って様々な大人や友人にアドバイスを乞います。

 

 

「"昔"の期間は、林業が盛んで名松線が開通した昭和10年~40年に設定しよう」
「文字は極力入れずに絵で表そう、おもちの飾りも入れよう」
「イラストレーターをお借りしてデザインを作成し、手ぬぐいにプリントしよう」
「ゴールは"地図を手にした人が奥津を訪れること"にしよう」
「シルクスクリーンの手法で手作りしてみよう」

 

 

このようにして大人や友人、家族に助けてもらいながら
〈伊勢奥津宿のれん地図〉は出来上がりました。

 

 

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 コロナ禍の影響による巣ごもりのタイミングで作業が加速!
 学生が手に取りやすい値段になるよう、手で刷っています。
 ※外注に変更する可能性がございます

 

 

全ては『ヒト』によって紡がれ、また別の『ヒト』につながっていく。
なぜ私はこの活動をするのか?という問いに対しての答えが出ました。
縦と横のつながりを強く意識し、今を生きる「自分の存在」を見つめるため。
私はここに面白さを感じ、突き動かされていたのでした。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回は「この絵地図製作を通して見えたもの」のお話です。

 

ヒトチズプロジェクト〈アトリエ「まーりー」〉